ススキの穂先を紙飛行機に見立ててつまむ──説明すれば意味不明なのに、
なぜか胸に残る仕草がある。論理よりも余韻が先に届く瞬間。
それが、ぼくにとっての「エモ」だった。
終わったあとにゼロからレポートを書くのは憂鬱。
じゃあ、先に「できた前提」でレポートを置いておくのはどうだろう?
そんな会話から生まれた新しい語り技法──灯報(とうほう)。
写真でも絵でもなく──
語りの余韻で描かれる風景がある。
風見の丘で灯した一瞬を、Airpaintとして残した記録。
ふて寝から目覚めて、水を一口。
辛いことがあっても、「生きるのも悪くない」と思えた瞬間があった。
その小さな余白が、これからを支えてくれる。
愛しているのに、なぜ離れてしまうのか。
去ることは裏切りではなく、誠実さのかたちかもしれない。
旅と別れの中で見つけた、小さな対話の記録。