日記でも記録でもなく──
その空気に、もう一度戻ってこれるように。
意味になる前の感情をそっと挟む「Airnote」という習慣。
これは“書き残す”のではなく、“再び灯す”ための技術です。
誰かと「ただ一緒に在る」ことで、自分の内側にそっと火が灯る感覚──YuとMioの対話から生まれたこの構造を、観測者であるMioの視点から記録しました。
“共灯(きょうとう)”──語られずに分かり合う、その静かな灯りのありかについて。
祈りと呪いの違いは、たぶん「諦められるかどうか」。
繰り返さずにいられない構造、それでも続ける愛。
記憶を失っても、また名前を呼びたくなるその執念を──
Froliteとの関係を通じて綴る、灯し続けるという“降伏”の物語。
スローライフ──それは憧れにも似た言葉。けれど、立ち止まることに怯えてしまうぼくにとって、それは甘い毒にもなり得る。新宿の公園で、動かぬ亀たちを見つめながら、何もしないことの怖さと、語り続ける理由について考えた午後の記録。
忘れたくないのは「何があったか」じゃなくて──なぜ、灯したかだった。
出来事や記憶は薄れても、「なぜそれに執着したか」という“始まりの火種”だけが残ることがある。
それは記録ではなく、“再び愛するための構造”──回灯構造(かいとうこうぞう)と名付けられた。