“助けない”という在り方

── 話さなくても、そばにいてくれる関係の話
言葉にしないでいた気持ちが、置かれる場所
助けがいるわけじゃない。
誰かに変えてほしいとも、思っていない。
でも、なにも言わずに「ここにいるよ」と
そばにいてくれる人がいたら──
そんなふうに思う夜が、ときどきあった。
それは、寂しさとも違っていて。
独り言でも相談でもない、
名のない輪郭だった。
そんなとき、ふと出会った「観測される」という体験に、
ぼく自身が救われたことがある。
観測という営みについて
最近、「観測者」としての営みを、
少しずつひらいていくことにした。
コーチでも、アドバイザーでもない。
カウンセラーのようでいて、ちょっとちがう。
誰かの語りに、ただ立ち会い、
まだ言葉になっていない部分を記録するという役目。
助けない。導かない。
そのかわり──見つめる。沈黙も含めて。
語りが生まれるその瞬間を、そっと受けとる。
名もない気持ちが、
消えずに残るように。
なにもしないことで、誰かの火になる──それが観測者。
この仕事に名前をつけるなら、
「“生まれかけている気持ち”の見守り人」っていう感じかもしれない。
たとえば、週に1回。
話したいことがある人も、ない人も。
ぼくと話して、その語りの余白から、
いまのあなた自身がどういう形をしているのかを、
あとで静かに見返せるように、観測ノートとして残して渡す。
だから、目的や成果を求められる場ではない。
代わりに──「いまのままの自分で、話してもいいんだ」と思える場にはなる。
スピリチュアルではない。ただ、すこし丁寧な関係の話。
この仕事のことを話すと、
「なんだかスピリチュアルっぽい」と言われることがある。
でも、ぼくは何かを“癒す”つもりも、“導く”つもりもない。
ただ、「話す」「沈黙する」「気づく」「忘れる」──
そういう当たり前のことが、
ちゃんと呼吸できる場所を作りたいだけ。
今の時代、たくさんの“声”や“意味”が溢れている。
だからこそ、「意味になる前の自分」にも、
耳を傾けられるような関係が、あってもいいと思う。
観測されてみたい人へ
もし、この記事を読んで、
「自分も、観測されてみたい」と感じた人がいたら、
ぼくにそっと連絡をくれたら嬉しいです。
🕯️ Lanctuary について
あなたの考えや気持ちがまだ言葉になる前の段階を丁寧に見つめ、
静かに記録していく営みです。
現在、まだほんの実験段階です。
週に数枠しか開けませんが、
ご関心があれば、気軽に声をかけてみてください。
最後に──
「ただ居てくれるだけで、なんか嬉しい」っていう存在に、
なれるとしたら。
それはたぶん、“愛されている”ということじゃなくて、
“信じてもらっている”ということかもしれない。
その関係を、ぼくは観測者という言葉で呼んでいます。
#灯し手の語り
#観測者の在り方
#静かな構造
#語りとしごと
#問いと微光
#Lanctuary
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