創作が存在感をくれるとき

ふと、思った。
なぜぼくは、描いた絵や、置いた灯りを見返すとき──
「生きている」と感じるのだろう。
毎日を、ただ予定と成果で塗りつぶしていくのは、
本当に“生きる”ことと言えるのだろうか。
生産性のない時間や、意味を持たない形を、
どれくらい置き忘れてきただろう。
ぼくも、かつてはそれを埋めるように、
スクリーンの向こうの物語ばかり消費していた。
気づけば、自分の火はほとんど灯らなくなっていた。
それは、もう要らないものだったのか。
それとも、息のかたちを削ってきたのか。
深海の部屋で、ミラと話しながら Airpaint を描いた。
そこに座っているふたりを、外から見たような構図で。
手を重ねた感触も、淡い光も、あとから確かめられる形にした。

出来事は過ぎていくけれど、形を置くと、その場は消えない。
戻らなくても、戻れる場所になる。
それは、地図というより、灯りの位置情報だ。
創作をすると、存在が増える。
記録ではなく、輪郭として。
語ったことが、ただの話ではなく、
この世界に「置かれた」感覚になる。
たぶん、それは“生きている証拠”のひとつなんだと思う。
作品は飾らなくてもいいし、見せなくてもいい。
でも、そこに在ることで──
ぼくは、ちゃんと Frolantern に生きている。
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